私達の生活に身近な切手。日本はもちろん、世界中のどこでも使われています。
では、この切手の起源・由来はどこだかご存知でしょうか?
その起源・由来はイギリスにあります。
世界で一番最初に発行された切手はイギリスで発行された1ペニーと2ペンスという二種類の切手です。
1ペニーの切手はは「ペニー・ブラック」、2ペンスの切手は「ペンス・ブルー」の愛称で呼ばれています。
今日5月1日は、世界が初めて切手が発行された日です。今から180年前の1840年5月1日、イギリスのローランド・ヒルは郵便切手を考案し、1ペニーの黒い切手はペニーブラック、2ペンスの青い切手はペンスブルーと呼ばれました。 pic.twitter.com/xTOtSQ7CDf
— 公益財団法人 日本郵趣協会 (@kitteclub) May 1, 2020
ペニー・ブラックの最初の版が、1840年4月14日に出来上がり、1840年5月1日に世界最初の切手がロンドンで発売となりました。
この時から現在にかけるまでイギリスの切手には国名の表示がありません。
それもそのはずで世界で一番最初に切手を発行したのがイギリスだったため、表記の必要がなかったためです。
なお、余談ですがこの時に封筒(料額印面付きの官製封筒)も発売されましたが、こちらの売り上げはさっぱりだったそうです。
話を切手に戻しますが、それから遅れをとること3年後、スイスのチューリヒ州にて切手が発行されます。
同年にブラジルにおいても切手が発行されます。
このようにイギリスを手本とし、各国にこの便利な切手を利用した郵政システムが伝播していきます。
目次
日本の切手の由来・歴史
日本では1817年(明治四年)に最初の切手が発行されます。
日本での郵政制度の改革は、「日本郵便(郵政)の父」と称される前島密(ひそか)という人物が進めました。
のちに日本最初の切手の考案者・初代郵政大臣の山梨県甲府市出身の杉浦譲(すぎうらゆずる)という人物がその改革を引き継ぎます。
そして、書状集箱(郵便ポスト)の形や郵便用具の規格、切手の図案などの案をまとめ、郵便創業の準備を整えました。
この杉浦譲という人物は27歳の時に、山梨県甲府市から江戸(東京)に出てきました。
杉浦譲は、外国奉行という仕事に関わるようになり、実力を発揮していきます。
杉浦譲は、29歳でフランスへ船で渡ります。
33歳にパリ万国博覧会などの視察のために渡欧し、フランスの郵便制度を日本で初めて現地で見聞して帰国したのです。
この経験を生かし郵政大臣のポストに就き郵便創業を成功に導いたとされています。
日本最初の切手「竜門切手」
そうして発行された日本の切手ですが、江戸時代からのお金の単位である「竜」と「文」が描かれた「竜文切手」と呼ばれているものです。
イギリスでの最初の発行から実に31年後のことでした。
5月18日(木)は国際博物館の日。切手の博物館では、入館無料となるほか記念小型印の消印サービスが実施され、「緑がいっぱい」展にちなみ日本最初の緑色の切手とされる「竜文切手500文」のデザインです。 pic.twitter.com/Sm2T83rOPT
— 公益財団法人 日本郵趣協会 (@kitteclub) May 12, 2017
発行された単位は48文、100文、200文、500文の四種類です。
文がお金の単位だから、というのは納得がいくと思うのですが、なぜ竜が描かれたのでしょうか?
それは一言でいえば「偽造を避けるため」でした。
切手を発行する当初の案では梅花模様を描き、その中心に金額を入れたデザインが想定されていました。
しかし、それでは簡素なデザインすぎて偽造されるのではないか?との懸念からより複雑なものとするために、銅版堀刻師である松田敦朝にデザインを委託します。
そして向いあった竜の模様が取り入れられました。
こうして発行された日本で初めての切手の竜文切手ですが当時はまだ原版を複製する技術がなかったため、同じ図案を40回手で掘って作りました。
そのため竜の爪などに少しづつ違いが見られます。
この竜文切手は当時は距離に比例したものになっており、現在とは料金が違います。二年後に統一料金となり現在の制度に近くなりました。
私達にとって身近な存在な切手、今の形になるまで紆余曲折を経て出来たものなのがよく分かります。
今度手に取るときには切手の歴史に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
おすすめ関連記事
⇒ 郵便番号の歴史~昔は3桁!いつから桁数が5桁、7桁に増えた?
-
-
郵便番号の歴史~昔は3桁!いつから桁数が5桁、7桁に増えた?
郵便はシステムそのものの歴史は非常に長いですが、郵便番号のみに注目すると歴史はそれよりずっと浅いことがわかります。 郵便番号が世界で初めて導入されたのはソビエト連邦下にあった昔のウクライナで、1932 ...
続きを見る