楠公まつりというのは、南北朝時代に活躍をした楠木正行公を偲んで開かれるお祭りです。
楠木正行というと、湊川神社に祭られているあの楠木正成の嫡男です。
正成は湊川の戦いで亡くなったといわれていますが、その嫡男はまだ健在で、南朝方として北朝の足利軍と戦っていたというわけです。
そして、その足利軍と楠木正行のとの戦いが行われたのが四条畷です。
そして、この戦いで楠木正行公は亡くなくなってしまうわけですが、そうした歴史を忘れないようにするためにも開かれているのが、この楠公まつりというイベントです。
このイベントでは、子供たちによる可愛らしくも勇ましい武者稚児行列が登場するのが見ものです。
これは恐らくですが、若くして散った楠木正行公を偲んでいるからだと思われます。武者稚児行列の数は約300人にもなりますから、これはかなりの見物です。
実際には楠木正行軍は3,000ぐらいだったといいますから、この行列の10倍ぐらいをイメージするといいかもしれません。
縁日も出るようですし、演奏会などのパフォーマンスもあるので、そうしたもので楽しむのもいいでしょう。
前夜祭では四條畷万灯篭というライトアップイベントもあるので、それを見てみるのもいいでしょう。
歴史が背景にあるので、こうしたイベントを見ることで過去の歴史に思いをはせることが出来るようになります。
それがこうしたイベントの楽しいところでもあります。武者稚児行列を見ながら、昔の人はこうして戦いに行ったのではないかと昔の人の想いをイメージするのも楽しいものです。
楠木正行を祭る「楠公まつり」
この戦いでは楠木正行軍三千に対して、足利軍は六万もの大軍を投入したともいわれています。
20倍もの兵力差にも関わらずに戦いを挑んでいった楠木正行公の想いはどんなものだったのでしょう。
足利軍は父正成を討った憎い敵であると同時に、自分たちの推戴する天皇を排除しようとする軍隊です。そのような敵にはどうしても立ち向かわざるを得なかったのではないかというようなことが考えられたりします。
この戦いに挑む前に正行は兵がなかなか集まらなくて、一般庶民からも兵を募ったがどうにもならなかったというようなことも今に伝わっています。
この戦いに挑むにあたっては、正行は吉野へと参陣して、亡き後醍醐天皇の後を継いでいた後村上天皇に拝謁し、今生の暇乞いをしています。
既にこの戦いに挑む前から死を覚悟していたことが伺えます。この姿は亡き父の正成と正に瓜二つです。
父がそうであったように、息子の正行も父と同じように天皇の為に戦って死ぬ覚悟でこの戦いに挑んだのでしょう。
正行は小楠公
父の正成が大楠公といわれるのに対して、正行は小楠公と言われるようになります。それもこうした父の最後と重なるところがあったからでしょう。
楠公まつりはこうした、天皇の為に戦った楠一族の戦いを偲ぶことが出来るイベントです。
今でも天皇は日本の元首として続いています。世界で最も古い歴史を持つ国といわれるまでになっています。
それは、こうした昔の人たちの想いがあったからこそということもいえるでしょう。
武者稚児行列を見ていると、そうした昔の人の想いが感じられるようになると思います。
勿論、今の行列を見ているだけでも楽しめるのですが、そうしたこの祭りの背後にある歴史を調べていくとさらに楽しめるようになるでしょう。
この四条畷の戦いでは、さまざまな伝説も登場したりしています。
例えば、情けは人の為ならずというような言葉もこの戦いから生まれたともいわれています。
この言葉は足利軍の将である高師直が部下に情けをかけて鎧を与えたことで、その部下が敵に討たれてしまったということがあったとされているからです。
こうした話が出てくるほどにこの戦いは凄かったのでしょう。